Sample Web Site

鹿児島時代

2014年】9月

『車社会』
 帰郷の際、皆が決まって言うセリフは「ここは車が無いと何処にも行っがならんし、何んもでけんよ」である。実際その通りである。
 皆当然の様に、「車を買えば良か…」と言うけれど、車さえあればそれで良いという気にはどうしてもなれない。車に乗らない選択肢があってもいいと思う。
 人口10万人以上を有する町でありつつも鉄道が無く、民間バスやコミュニティーバスの利便性も極めて悪いことの方が問題の様な気もする。最も田舎は何処も同様の問題を抱えているとは思うが……。
 足腰の弱った高齢者や体の不自由な人、免許や車の無い人達は、薬局や病院、スーパー、郵便局などにもタクシーを利用している人も多い様に見受ける。白内障で視力の衰え、足のふらつきや様々な痛みを覚える母もその中の一人で、病院や薬局にはタクシーを利用している。経済的負担も大きい。
 帰郷後、私の思考は母の姿を通して急速に高齢者目線で物を見て考える様になった。 高齢者、弱者にとって暮らし易い町のあり方とは、住まいとは、買い物しやすいお店とは? 母の姿は将来の自分の姿と捉え、数十年後を見据えへて、今をどう生きるべきか、そして余生をどこでどう過ごせばいいか考える日々である。

同年9月
『帰 郷』
 極めて私的なことであるが、かねてより田舎で暮らす高齢の母のことが気掛かりだった。故郷には90歳になる歩行器の必要な叔父と、今年米寿を迎える母が共に暮らしている。母のことを思うと「帰らねば」との思いが日を追うごとに強くなる。決して「帰りたい」では無く、「~ねばならない」の思いの方が強い。東村山での生活は心地よく、好きな町だけに “帰郷” の決断はなかなか出来ずにいた。一年間考えに考えた末、今年5月中旬に帰郷の道を選んだ。
 幸い母の実家より徒歩2、3分という近くに家を見つけることができた。
 正直言って、「帰郷して良かった~」とはまだ言えない。
 そう言える日が来るのかも自信は無い。とは言うものの自主的に決断したことなので決して後悔はしていない。買物の手伝いや、毎日様子を見に行くことが出来る様になり、何より母が一番喜んでくれているし、遠くの町で案ずる必要も無くなった訳である。
 帰郷に際して、「あれもしよう、これもしよう、あんな事、こんな事も……」と、様々な計画やアイデアを持って帰ってきたが、あらゆる “現実” に阻まれてまだ何もなし得ていない。
    

東京時代

2013年】2月

『春』
 どの季節にも、その季節なりの色・香・音があるけれど、それを最も実感できるのが春でしょうか。
 春の色は菜の花色、桃色、さくら色、すみれ色、山吹色等々、様々な草花の色を楽しめる。
 香りはというと、草・樹木・花の様々な香りは勿論のこと、中でも春山の土の香りは生まれたばかりの土の香とでも言うのか、木々の若葉の香りが混ざった様な何とも言えない土臭さがします。畑の土の香りとも少し違う様な気がします。足裏の感覚も軟らかく心地がいい。
 そして春の音の代表は野鳥の声、蛙の声、風の音、小川のせせらぎの音、挙げればきりがないですが、何と言っても我が家の近所の公園で聞こえてくる春の音は牛蛙です。凄いド迫力で、牛蛙が一鳴きすると、知らない人は 「今のは何、何?」 と言って寄ってきます。
  一声で皆を寄せたる牛蛙
と言った感じです。
 食糧難の昔は食べていたとか。「いえ、いえ、私は食べたことありません」(笑)。 これが鳴き出すと春だなーと実感します。
 そして、もう一つ有りました。これらの春の音に、新しくクシャミの音も加えておきましょう(笑)。私もそろそろです。

2012年】12月

『淑 気』
 俳句を始めてから「淑気」と言う言葉を知った。電子辞書『現代俳句歳時記』(CASIO Ex-word 搭載)によると、「淑気」とは、新年のめでたく厳かな気配をいう。具体的なものではなく、正月になって天地の間に瑞相が満ちるような感じを受けることをいう。と記されている。 “淑気” という言葉に深く感動した。
 考えてみるに、「淑気」は、豊かな物質社会の現代と違って、物の不足していた時代の物を愛おしむ心や感謝の心、照明器具も冷暖房器具も乏しい時代の夜の暗闇、静寂の中の研ぎ澄まされた感性、自然への畏敬の念など、人の “もの思う心” が、その様な感覚、空気感を生んだものと思う。
 無事に一年を乗り越えられたことへの “感謝の心”、また新たな気持ちで一年を頑張ろうという “生真面目さと純粋な心” 、その厳粛な気持ちが、注連縄や門松を飾る、お花を飾る、身も心も清め、新しい下着や衣服に身をつつみ、気持ちもを一新して、正月特有の行動へとつながっている。
 確かに子どもの頃までは「淑気」は感じられた様に思う。
 年々 “淑気” は薄らいでいる気がする。 感謝の念も、真面目さも純粋さも昔に比べて稀薄になってきている。正月飾りの簡素化や晴れ着を着なくなったことも、その表れの一要因かも知れない。
 単に、「昨日から今日になっただけのこと」では、ちょっと寂しい。
 一年を無事に終えたことに感謝し、厳粛な気持ちで静かに心を整えながら、新年を迎えたいたいと思う。

同年11月           
『人生と自然』
 東村山市は里山の残る東京のプチ田舎と言った風情である。 すぐ近くに緑地があるのでよく散策する。 自然の中を歩いていると、つくづく人生と重なるものを感じる。その様はまさに子どもが生まれ、ぐんぐん成長していく姿に似ている。
 春が来るとどんな枯れ木も、一つまた一つと新芽を吹いて、 萌木色から若葉色へと変化していく。青々とした若葉が木々を覆い、やがて鶯や四十雀等々野鳥達が集い一斉に鳴き始める季節 “山笑う” 春は、正に「箸が転がっても可笑しいお年頃」の少年少女らの青春期(思春期)だ。
 そして万緑漲る “山滴る” 夏は活力に満ちた青年期と言えるだろうか。
 さらに成長して “山装う” 美しい秋。人生においても気力・体力共に最も充実した大人の中年期。特に赤く紅葉した美しい楓などには、着物の似合う40代前後の美しい女性の色香を感じさせます。でも現代の美魔女とはちょっと違う。
 紅葉も少しずつくすんで来て茶褐色になり末枯れて凋落の兆しを見せると高(壮)年期へと。
 やがて残っていた最後の葉も落として枯れ木の老年期、 “山眠る” 冬になる。
 葉を全て落とした一本一本の細い枯枝は、人生を長く生きてきた重みと深さのある人間の顔の深い皺に想える時がある。(最も近年はその様な深みのある皺の老人が少なくなったが)
 様々なことに耐え、長年生き抜いてきた強さとしなやかさと重厚さを持って、また次に花や実を咲かせる準備をしている。

春の俳句 | 夏の俳句 | 秋の俳句 | 冬の俳句 | 思うこと

Sample Web Site

↑ PAGE TOP

Copyrightc 2012-2017 有限会社ステップ All Rights Reserved. 《Web Design:Template-Party》